―――始まりの音色―――

「面倒臭い…」
海雪は大げさにため息をつく。
誰にともなく文句を言いながらも、それでも教室へと向かっていた。
職員室から出れば、忘れていた熱気が襲ってきたため再び機嫌が悪くなったのだ。
歩みを止める事をしなかったので、職員室からはすぐだった。
扉に手をかけた刹那、しくしくと声が聞こえた。
それは泣き声だった。
聞いているだけで、胸が締め付けられそうな。
悲しい声だった。

―一体、誰が泣いてるの…?―

教室の扉を開けると、人影が見えた。
人影はこちらに気付いてはいなかったらしく、今も泣いている。
「どうしたの、君。」
「!誰ヌ〜?」
声を掛けた事でようやく海雪の存在に気がつき、振り返るパペットの少年。
その目元は涙で濡れていた。
「海雪、それが私の名前。君は?」
「カベルネだヌ〜」
「で、どうしたの?」
再度、問い掛けるとカベルネは押し黙る。
―見ず知らずの他人に話せる理由で泣く訳ないから、当然か―
海雪はため息をつき、誰にも聞こえない声で。
「今度会ったら、有無を言わさず一発食らわせてやる。」
そう呟いた。
同時刻、職員室で初老の紳士がくしゃみをしたのは言うまでも無いだろう。
「初対面なのに、いきなり聞いちゃってごめん。
気を悪くしたなら謝る。」
頭を下げると、カベルネは意味も無く手をぶんぶんと横に振る。
「そんなことないヌ〜!だから、頭を上げてくれヌ〜」
と海雪に言ってきた。どうやら、困らせてしまったようだ。
海雪は素直に頭を上げる。
少しの沈黙の後、彼は一言、こう告げた。
「兄貴の事を思い出してたんだヌ〜。」
どうやら、少しだけ心を許してくれたらしい。
「亡くなられたの…?」
こくりとパペットの少年は頷いた。
「…家族が亡くなるのは…悲しい事なんだろう。
どんな辛さか、家族がいるのかさえ分からない私には、きっと理解出来ない。」
言って目を伏せ、それから何とか話題を変えようと喋る。
「君は臨海学校には行くの?」
「勿論、行くヌ〜。君も行くヌ〜?」
「うん。じゃあ、楽しくいってみない?君の兄さんもそう願ってるはずだし。
……………駄目?」
我ながらフォローが下手だと思った。
元々、人付き合いにはなれていないのだ。
カベルネの顔を覗き込むと、考え込んでいる様子だった。
―失敗、したかな…―
あの校長。殴る回数を増やしてやろうか、などと八つ当たりの算段をしていると
しかし、返って来たのは意外な言葉だった。
「何とか努力してみるヌ〜」
「本当!?良かった…」
「海雪、ありがとうヌ〜!」
「いや、お礼言われるほどじゃない…
それよりも、早くバスに乗らなきゃ!」
カベルネは頷くと、海雪と一緒に扉のほうへ歩いていった。
刹那、扉が開いた。
予期しなかった事に、少し二人は驚いて身構えた。
だが、安心だと分かり警戒はすぐに解けた。
「お、カベルネ見っけ。」
「まだバスに乗ってなかったんですね。」
銀髪の少年と少女―カシスとレイル―が扉の外側から声をかける。
「あれ?隣の人は誰?」
次いで、シードルが問いかける。
海雪は、それはこちらも同じ意見だ、と思った。
この教室に訪れ、カベルネと顔見知りと言う事は
おそらく、マドレーヌクラスの生徒である事は容易に見て取れたが。
「海雪って言うんだヌ〜。臨海学校に参加する人ヌ〜。」
「そうなの…私はアイシャ。時間も無いし、他の人たちは後で紹介するわ。
さぁ、一緒に行きましょう。」
言って、深紅の少女、アイシャは優しく微笑んで海雪へと手を差し出す。
―もしかして、こうなるって分かってて来させたのか?―
教室に来るようにと言った老紳士の顔を思い浮かべる。
聞いたところで、きっと教えてはくれないだろうが。
「えぇ」
海雪はその手を取る。
人の温もりを肌で感じたのは、酷く久しぶりだったと海雪は思った。

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